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間寛平 地球1周「アースマラソン」
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津波で折れたレスキューウィング [★がんばっぺ東北!頑張ろう日本]

被災した松島基地の救難ヘリ

「これは訓練ではないんだ…」
被災した航空自衛隊松島基地…
その時、基地で何が起きたのか?

「これは訓練ではない」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110404/dms1104041540014-n1.htm

 その日は、ハッキリしない天気だった。午後には雪が降り出すという予報だった。
 航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)では、午後の訓練が中止となった。
 戦闘機パイロット育成の場である同基地では、少しでも多く飛行時間を積みたい者ばかりだが、
 悪天候では仕方がない。

 訓練機を格納しようとしていたその時、大きく地面がうねった。

 「また、来たな」

 庁舎では、夏に開催予定の航空祭について会議が行われていた。
 参加していた幹部の1人は、
 「昨日もあったから、余震だろう」
 と思った。前日にも同じような揺れがあったのだ。
 このところ続いていたので、不気味ながらも少し慣れてきていた。

 しかし、この日は様子が違った。
 ゆったりした揺れから、次第に激しい横揺れへ。
 異常な感覚だった。
 立ち上がって窓を開ける者もいたが、その幹部は棚の上にあった戦闘機の模型が気になった。
 市民から基地に贈られたばかりだった。
 落ちないよう両手で支えてみたが、揺れの強さに、両足で踏ん張っても
 立っているのがやっとだった。
 これは尋常ではないと思った。
 程なく、大津波警報が発令される。

 「隊員は2階以上に避難!」

 これまで何度も行った訓練と同じだった。
 同基地では、津波を想定し、地震発生後に高所に避難する訓練を
 繰り返し実施していたのである。その時、愛機を格納庫に入れようとしていた隊員たちには、

 「しまわんでいい!」

 と、上官から怒号が浴びせられた。
 あんなに飛行機を愛するあの人が?
 信じられなかったが、顔は本気だ。

 「5分だけ時間をやるから、大事な物を取ってこい」

 そう促されて、せいぜい携帯電話だけを持って階段を駆け上がった。

 「これは訓練ではないんだ…」
 われ知らず、鼓動が高まる。
 2階では会議室にいた幹部たちが、慌ただしく電話をし、
 テレビからの情報収集に躍起になっている。

 「6メートルの津波だって言ってるぞ」

 訓練での想定を、はるかに越えている。まだ、震源地は分からない。

 「9メートルだとも言ってる」

 全員に動揺が走ったのが分かった。
 「これは来るぞ」と思った。

60111757.jpg

「危ない!引き返せ」サイレンにかき消される声
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110405/dms1104051136000-n1.htm

 「2階ではダメだ、3階より上へ!」

 航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)の全員が階段を上がる。
 しかし、航空基地は広大で、しかも、グランドクルーや管制官など地上で働く人がたくさんいる。
 滑走路の端の方で業務にあたる者もいて、すべての隊員に、即座に連絡をすることは困難だ。
 基地内放送で、
 「総員3階以上へ退避」を呼びかけているが、聞こえているかどうかが分からない。

 滑走路を車で回り、伝令も走らせる。

 「津波の到達予定時刻は1510(ヒトゴーヒトマル)!」

 平素から、地震発生より20分以内で高所に上がることは頭にも身体にも染み付いていたので、
 問題はないはずだった。ところが、その時、1人の幹部が、

 「待て、余震も来そうだ。あそこは危ないんじゃないか」

 と気が付いた。管制塔は、2003年の地震でヒビが入ったままだったのだ。
 それどころか、他にも耐震補強の予算が、なかなか付かず、危険な建物も多い。

 「耐震構造の建物に入るように」

 指示が出て、耐震化されていない所にいた隊員が慌ただしく移動する。
 限られた建物に、約1100人の隊員が集まり、大半が屋上に上がった。

 「点呼!」

 人員の確認が速やかになされた。中には、売店の職員や工事で訪れていた人たちもいた。
 横なぐりの雪が降っている。辺りにはサイレンの音がけたたましく鳴り響き、
 それに呼応するかのように、雪が激しさを増す。
 じりじりと、1分が1時間にも感じられ、津波到達予想時刻を過ぎても不気味に静かだった。
 屋上から基地の外に目をやると、海岸線を走る車が目に入った。隊員が叫ぶ。

 「危ない! 引き返せ」

 必死になっても、サイレンと吹雪く音に虚しくかき消されていく。
 それでも、みんな必死で声を出した。
 何台かはUターンをして戻ったが、そのまま走り続けていた車もあった。

 時計の針は1554を指していた。
 その時、近くの田んぼの上を黒い波がすーっと静かに進んでくるのが見えた。
 次の瞬間、「ズドーン」という轟音が静寂を破った。門柱に水が当たる音だった。
 濁流の音と、バキバキという音、めくれるような音が、あちこちから聞こえてくる。

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復興へ…全員の心が一つになった「滑走路を1日でも早く」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110406/dms1104061536016-n1.htm

 「あっ」と声がして見ると、隊員たちの自家用車がプカプカと浮いて漂い始めていた。
 津波到来の瞬間、航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)で鳴り続けていた
 サイレンが止まり、幕僚たちが集まっていた部屋では、電気が消え、電話が切れた。

 慌しく連絡をとり続けていた話し声がピタリと止み、シーンと静まり返った。

 唯一の電源である基地の発電機も水没したらしい。
 4メートルの津波で外部と断絶されたのだ。
 基地内にあったヘリや航空機28機も使い物にならなくなった。全員が押し黙った。
 無情にも気温は下がり、どんどん冷えてくる。

 「無線機を用意しよう」

 どこかの基地から救難機が来るかもしれない。
 携帯電話は、繋がった時のバッテリーを温存するために電源を切った。
 津波は何回か到達し、その度に駐車場の車が右から左に動くのが見える。

 「火があがってる!」

 石巻の方だった。何とか助けに行けないのか、残してきた家族は、肉親は…。
 歯がゆさと、不安な思いがよぎる。
 やがて日が落ち、真っ暗闇になった。ろうそくを灯し、身を寄せ合って少しでも暖をとる。

 「2~3日は孤立するかもしれないぞ」

 残っている糧食は、僅かだったため、カンパンを少しずつかじった。
 どうせ、寒さで寝られるわけじゃない。
 明るくなったら、何をすればいいのか、日の出までに検討しようと、
 それぞれが持ち場のやるべきことを考えることにした。
 と言っても、何がどうなっているのかが分からない。
 滑走路は使い物になるだろうか、電源はどれくらいで修復できるのだろうか…、
 色々な思いを巡らせた。

 その時、誰かが、遠くからかすかに聞こえる音に気付いた。

 「救難機が来てるぞ!」

 無線で交信し、百里基地から飛んできたことが分かった。

 「ありがとう…」

 仲間の有り難さが身に染みた。この夜を越えれば、新しい朝が来る。
 隊員たちは心が熱くなった。 夜が明けると、みんなが一斉に動き出した。
 ある者は人命救助へ。と言っても車も長靴もスコップも何もない。
 災害時に備え資材を集積していたが、全て流されてしまったのだ。
 そのままの姿で、とにかく歩いていった。
 ある者は、滑走路の復旧へ。

 「滑走路を1日でも早くオープンさせよう。救難機の着陸基地にすることが復興への第一歩だ!」

 全員の心が1つになった。

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【誰かのために】部屋は他部隊に譲り、食料は住民に 滑走路使えず「できる事を」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110407/dms1104071129002-n1.htm

 悪夢の震災当日から一夜明け、復旧に向けた一歩をスタートさせた
 航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)。
 隊員たちは、水に浮いた自家用車を横目に、被災者のこと、
 残した家族のことを案じながら作業を始めた。

 「どこから手をつけたらいいんだろう」

 途方に暮れる中、全国の空自基地からの応援も到着し始めた。
 北海道から沖縄まで。昔の仲間、懐かしい顔もそこにあった。
 陸上自衛隊の車両も来てくれた。

 「俺たちが感傷に浸っている暇はない。とにかく動こう」

 救難機を着陸できるようにする部隊と、住民の救援部隊に別れて行動することに。
 その中には、救難ヘリのパイロットもいた。
 彼らは、「何かあれば真っ先に助けに行く」という誇りを持っている者ばかりだ。
 地域の人たちが助けを求めているのに、基地内のヘリや航空機は
 津波にやられて飛ぶことができない。それが何よりも辛く悔しかった。
 その彼らも、炊き出し支援、がれき除去などに分かれ作業を始めた。

 「陸上自衛隊はもっと過酷な状況でやっているんだ。頑張ろう」

 基地の隊員にとって、それが合言葉となった。
 1週間は毛布も届かず、着の身着のままで寝た。
 他部隊の隊員はできるだけ部屋に入ってもらい、自分たちは廊下で寝る。
 マイナス4度まで下がったときは、さすがにまいったが意識が遠のけばラッキーだと、
 笑い合った。

 2週間以上たち水が出るまでは手も洗えず、お湯がないので缶メシを硬いまま食べた。
 応援に来た隊員が陣中見舞いの食糧を持ってきてくれたが、近くの小学校で配り、
 入浴が可能になってからも、先に住民に入ってもらった。
 その後に隊員が入る。ドロドロになった湯船の掃除にたいそう骨が折れたという。
 滑走路の復旧作業は急ピッチで進み、震災4日後には飛行機が降りられるようになった。

 徐々に、震災時に基地にいなかった隊員や、家族の安否についても情報が入るようになった。
 家族が車ごと流され、冷蔵庫につかまって漂流していたところを救出されたと語る隊員もいる。
 建てたばかりの家に、週末には荷物を運び入れようとしていたが、家ごと流された隊員。
 いずれにしても大半の者が、戻るところがなかった。
 しかし、自分の境遇を嘆くことはできなかった。
 隊員の家族36人が亡くなり、139人が安否確認できないでいる。

 涙を流す暇はない。互いに気遣い、黙々と作業をする隊員たちの姿が、そこにあった。

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不幸中の幸いは松島基地所属のブルーインパルス。
彼等は震災翌日に開催されるはずだった、九州新幹線の開通記念行事での
祝賀飛行の為、基地を離れており被災しなかった。

東北宮城、復興の暁には、またその勇姿を大空で披露して欲しい。

日本は必ず再び立ち上がる!
日本人、なめるなよ!
がんばっぺ、宮城!
がんばろう、東北!
がんばるぞ、日本!

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